親の介護を考える

介護/看護

アラフィフになると親がいつでも健康であるとは限らない!

アラフィフならではの親との関わり

若い時は親も健康で親に心配ばかりされていましたが、今は私の方が親の健康がとても気になるようになりました。

母は一人で日本に暮らしています。日本にいた時は離れて暮らしていても年に1,2回会うか会わないか、電話もほとんどする事がありませんでした。しかし、今は毎週必ず電話をし出来るだけ話をするようにしています。その理由は、

  1. 安全確認
  2. 認知症予防と有無の確認
  3. 必要物品の確認

先日母がコロナのワクチンを打った時は、ほぼ毎日電話をして副反応を確認していました。色々な話を聞いていたので心配していましたが、叔母が頻回に会いに来てくれたり、遠くから姉が仕事帰りに様子を見に行ってくれたりと親戚にお世話になりました。感謝の一言!

父との関わり

父はアルツハイマーを患い最後には心不全で数年前に亡くなりました。発症時、家族からの願いもありカナダでの仕事を辞め一時帰国をしました。今まで、一人で好き勝手に生きていましたので呼ばれれば仕方が無いとトータルで1年半ほどでしたが父の傍で過ごしました。

驚いたのは、家が荒れに荒れ放題。ネズミが死んでたり床が抜け落ちる部屋もあり言葉を失いました。家族は仕事も自分の家族もあるので毎日の世話なんて無理は承知。そう、私は暢気な独身貴族...私しかいない状況でした。

先ずは、神経内科の担当医から話を聞いて父の状況把握。内向的な父は人前でとても気を使うので、なかなか他人に心を開く事が出来ませんでした。どちらかと言うと人を避けていた生活をしていたようです。その為、脳に刺激が与えられず毎日同じ生活をしていました。毎日の散歩はしていたようですが、脳活にはやはり人とのコミュニケーションや積極的にアクティビティに参加するのが一番のように思われます。

介護は闘い

毎日が闘いでした。有難い事に、...身体的機能はあまり問題がなかったので、返って喧嘩を招く事ばかりで取っ組み合いになった事もありました。

父には全く自覚症状がなく私が来るまで自分の好きなように一日を過ごしていたので、私が来た事により車の免許証の返納、車も失い介護施設のディに通わされたり...父の立場になれば、そりゃ耐え難い日々だったでしょう。

けれど、医師からのアルツハイマーの診断を受けた以上、車の運転をさせる事ができませんでした。誰かを気付つけてからでは遅いからです。唯一、運転が大好きな父からその全ての可能性をとってしまった時は罪悪感で一杯でした。でも、正しい選択だったと思います。

車を失ってからの父の気分の落ち込み方は酷くなる一方でした。ですが、父が不安を抱いていたのも事実。

ある日の夕方、父と近所のスーパーに歩いて買い物に行った帰り、父が私に教えてくれた事がありました。

「イヤぁ、何回か車をスーパーの駐車場に忘れて歩いて帰って来た事があって、家の駐車場を見てドキッとしたものだった...馬鹿だなぁって思って、また歩いてスーパーに戻ったんだ...」っと、言いながら笑ってました。

親戚からも、「今から行くから!」っと、父から電話をもらってもなかなか到着しなかったと言われました。その頃には、すでに脳の海馬の萎縮がみられていたのでしょう。いつもの親戚の家も迷いながら運転していたようでした。

その後は、ほぼ喧嘩。介護施設のディケアーにも、無理やり行かせたり。介護してくださる方々にも大変お世話になりました。お迎えの拒否に始まり施設での入浴をずっと拒否したり、アクティビティへの参加を拒否したり。

私も以前介護施設等で働かせていただいた経験があるので介護師の皆さんには本当に申し訳ない気持ちでした。まさか自分の父親が問題利用者になろうとは...。でも、父の立場からは自由を取られたという気持ちだったのだと思います。

父との海外からの別れ

そんなこんなで結局父は薬の調整の為、介護老人保健施設へ入所。その間グループホームを探し薬の調整が整い次第入ってもらい。父の家を売りに出し(家の処分は、本当に大変!)落ち着くかと思えば、父の精神状態が悪化しグループホームから認知症治療病院へ移動を余儀なくされました。そこでまぁ、何とか落ち着いたようなので私は一旦カナダへ戻りました。

不思議な事ですが、カナダに戻る前に父に会った時なぜか不意にこれが最期かもっと思ったのです。

その半年後、日本からの連絡。父が急死したとの事。連絡が来たのは、カナダ時間のお昼過ぎ。私は友人家族と遅いランチを楽しんでいました。

その家族は同じアパートの住人でしたので、私のアパートを彼らに託しチケットも翌日早朝に何とか取れ友人に空港まで送ってもらい日本へ戻ってきました。

有難い事に、父の亡くなった翌日の夕方には父の遺体に手を合わせる事ができ葬儀にも間に合いました。それもこれも友人の助けがあったからこそでした。持つべきものは友です!

数か月前から、父の食欲がなくなって食べなくなったっと聞かされてました。体はすっかり瘦せ細り、骨と皮だけになっていました。最後には点滴が開始されていました。今思えば、父は死を覚悟していたように思えます。故意的に食べなくなったのではないかと...

最後に

もし読んでくださっている方で誰かの介護に悩んでる皆さん、必ず人の手を借りてください。一人では限界があります。介護は、する側される側ともに辛いものです。

介護をする側にゆとりがなければ、される側も感じ取れます。罪悪感があっても、周囲の援助を受けてください。予算上厳しい方もいるかもしれません。ですが、先ず各地方自治体または近くの包括支援センターなどに問い合わせて介護者側が病気になる前に誰かに助けを求めてください。

一人で頑張らないでください。必ず方法があるはずです。

コメント

  1. よっしー より:

    そうだね。自分の親だからと頑張らず、いろいろな制度も専門の方もいるから、皆を頼って”皆で介護”の世の中に…..だね。
    介護の職場で働く者としては、大変さはわかるし、いずれは自分も…..だから、最近は”終活”大事かなと思います。介護者も罪悪感が減りますかね。なによりも自分自身の人生がより良い人生になるような気がするかな…。

    • アラゴ より:

      いつもコメントありがとうございます。
      本当に”みんなで介護”が当たり前になると良いと思います。
      ”終活”は、父の死後、独り身の自分にはしっかり後片付けしないとなぁ・・・っと思いましたね。
      何よりも自分の人生悔いなく過ごしたいですね!