11年

雑記
宮城県名取市メープル館

3月11日

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3月11日。

皆さんも色々思う事があるかと思われます。

私は、宮城県出身者です。ですが、2011年3月11日は、もう既にカナダに移住していました。

未だに悔やむ事が多々あります。でも、凡人には何も出来ず毎年この日を迎えます。

あの日

東日本大震災10カ月後
東日本大震災10ヶ月後、未だ内陸部に漁船などが横たわっていました。(2012年1月)

この震災時、私はフランス語の学校に通っていました。

2日前に震度5の地震があった事を私は知らず学校の先生に「大丈夫か?」っと聞かれ、その日の夜に実家へ電話した事を覚えています。その時は、母も「いつもの事だから・・・」っと、あまり気に留めずにその日は、電話を切りました。

その翌日に、この大震災が起こったのです。

珍しくカナダ時間の朝4時に目が覚めトイレに行った帰り、何時もならそのままもうひと眠りするところ・・・何故か、テレビを不意に付けたのです。その時の日本時間は、夕方5時か6時だったと思います。地震発生から数時間後です。

テレビに日本語が、見覚えのある地域名が出ているではありませんか・・・それは津波の報道でした。

一瞬理解できず。

自分のラップトップを開くと受信トレイに沢山のメールが来ていました。

私がカナダに居る事を知っている友達は、

  「大変な事になってるから、すぐに家族と連絡を取って!」

私が日本にいると思っている友達は、

  「大丈夫?大丈夫なら返事を下さい!」

殆ど同じ内容でした。

その後、宮城県の家族・友人とは連絡は取れず。ひたすらネットで現状を検索し続けました。

母と話せたのは、震災一か月後の事でした。

復興へ

この一カ月、写真を整理していました。

震災後、初めて日本に帰り撮影した場所はもう私の思い出の地ではありませんでした。

人々の活気もなく、誰も住んでいな家。その隣には未だ撤去されない漁船が横たわっていました。

海辺に近づけば、全ては流され平地になってました。

それが毎年、土地上げをされ新しい住宅街へと変身を遂げようとしています。

去年の10年目である一区切りの年には、自分なりに写真を編集してスライドショーとしてビデオを作り助けてくれたり寄付してくれた友達に送ろう思っていましたが・・・各地域で素敵なビデオを制作されていました。結局、そっちを送っちゃいました。

震災からの足跡👣

この場を借りて、素人の写真でこの11年(実質8年位、パンデミック中で帰国できませんでした。)を御覧いただければ幸いです。

名取市観光物産協会のウェブサイト
https://www.kankou.natori.miyagi.jp/hisaichi/1381

これらの写真は、宮城県名取市閖上の日和山、頂上には大津波で流失した閖上湊神社と富主姫神社を祀られている小さな山です。そしてこの地区一帯を見渡せることができます。

上の写真は、全て2012年1月の物です。砂浜には一切入れませんでした。

こちら上の写真は、2013年~2014年に撮影しました。勿論、一般人はまだ浜辺を見る事ができませんでした。瓦礫の山は至る所にでき、残されたガードレールも家もまだそのまま・・・

目に付いたのは、お地蔵様が至る所に見られました。改めて、各家族の誰かが犠牲になったのだと・・・この時は、あまりにも風景が変わり果てて実際に何処がどこなのかは知る余地もありませんでした。ただただ、胸が苦しくなる一方。

上の写真は、2015年以降に撮りました。大分整備されていますね、涙が溢れます。苦しい中、住民の皆さんの努力の賜物。瓦礫の山は、もう見当たりませんでした。

こちら上の写真は、今は取り壊された中学校です。あの日は屋上に上り寒さの中、助けを待っていた生徒達また先生・職員の方々の思い、また助ける事の出来なかった命があったと聞きました。

「がんばろう日本」の文字は、頑張れない人々にとっては辛い言葉だったかと思われます。しかし、他の言葉が見つからないのでしょう、至る所で見られました。

頑張らなきゃいけないの百も承知。ただ、大人の方が立ち直れなかったと思われます。そんな中、子供達が支えてくれたのです・・・11年たった今、その子供達が成長し宮城を支えてくれています。とても頼もしい若者達です。

未来へ

だいぶ復興が進む今日。地元の皆さんは、未来を見ています。

以前あったような海岸林の再生の為、浜辺の入り口には沢山の松の木の苗が埋められています。

新しく堤防も完成し、次々に完全なる復興を目指し新しい物が作られています。

震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ゼロからの復興が生き残った方々の活力となり、この場所が未来の子供達への素敵な思い出作りの土地となるよう日々願っております。

最後の写真は震災後初、やっと浜辺に入れた時に撮れました。

静かなる海辺に人々が集まり平和への感謝を忘れずに生きてゆきたいですね。

全てに目を通していただき有難うございました。

コメント

  1. よっしー より:

    久しぶりにブログのぞきました(^_^ゞ
    私でさえ思い出すというより、地震がある度によみがえる震災…..東北の方々は、私以上でしょうね。
    地震に関しては、いろいろ予測されているから、日本はいつ何があってもおかしくない状況でしょうか。
    私の住む群馬は、比較的落ち着いている場所なのかな…..。
    まだまだ、復興中…..いろいろあっても時は流れているのをあらためて感じるし、震災を経験した方々と平穏無事に過ごしている自分…..生きていくっていうことをなんだか考えさせられますね。

    • アラゴ より:

      コメントありがとうございます。
      今の世の中、何処にいても毎日何気に時は過ぎますよね・・・戦争・内戦で苦しむ人々、コロナの影響による身体的・精神的苦しみの中で生き人々。
      何とか過ごせていると言う事が幸せなのか、どうなのか・・・生かされているのかな・・・って、思う日々。
      しっかりしなきゃと思います。
      お互い頑張りましょう。

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